中井雅佳君
「須原塾が本当に与えてくれたもの」
中井 雅佳
1、はじめに~
大学生はほとんど勉強しないのか?TVやドラマでは美男美女がこの世の春のごとく青春を謳歌している様が映される。しかし実際そんな楽しいことばかりではない。学期末になると「単位のため」に勉強しないといけない。普段から、一応、勉強している中高生と違い、大学ではその一夜漬けたるは中高レベルのソレとは隔絶している。当然図書館は大相撲と違い連日「満員御礼」。大阪市も360億円かけて建築したかいがあるというものだ。皮肉はさておき・・そんな様をみて多くの友人は私に
「まるで予備校の自習室みたいやな・・・」という。
私はきまってこう言う。
「あっそうなん。予備校に通ったことないから分からんわ~」
そう、予備校を知らないというのはまさに私の自慢の一つなのです。大学に入って予備校を経験していない人など本当に少ないと実感できる日がこれを読んでいる後輩達は、すぐに知ることができると思います。
約2年ぶりに塾を訪れ、先生に「中井君、沖縄旅行のこととか、昔の塾のこととかを今の後輩に書いてやってくれんか~?」と頼まれ喜んで執筆した次第です。前作[1]が好評?だったので今回もそれに負けないように、また後輩たちの何かの参考になればと願って執筆しました。
2、先生との出会いと旧教室の思い出
私が須原塾に入塾したのは、中学2年の終わりから中学3年のはじめだったと記憶しています。当時は今の塾より少し離れた場所に塾がありました。確か、塾の前の道路は未舗装だったと思います。20世紀末のしかも大阪において未舗装だなんて、国土交通省は何をしてるんだと当時は驚きもしたものです。母、妹、私の3人で夜7時から会う約束でした。早めに到着した私たちは塾の前で待っていました。
すると、闇の中から怪しげ[2]なおじさんが近づいてくるではありませんか!しかしその人こそが恩師須原先生だったのです(笑)
昔の教室は現在の教室ほど広くはありませんでした。しかも2階の土壁の強度は、鉛筆をドリルと夢想する小中学生の攻撃に耐えられるほど十分とは言えませんでした。
不自然な場所にはられたポスターの下がどうなっていたかなんて、FBIもCIAも知らないと思います。さらに2階にはTVがあり、そのTV台の中にはほこりをかぶったファミリーコンピューター、通称初代ファミコンが放置されていました。カセットはスーパーマリオブラザーズ・・当時中学生だった私は、先生がコントローラーを握って[3]マリオに夢中になっている姿を妄想しては一人吹き出しそうになっていたものです。
「クリボーじっとせんかっ!」と怒る先生「1-2面からワープを利用する先生」等々、私の妄想は尽きませんでした。この頃もっと勉強していればと今になって思います。
3、沖縄旅行
私の須原塾生活を沖縄旅行抜きで語ることはできません。私が入塾した時に、20周年記念の第1回沖縄旅行がちょうど済んだばかりだったと記憶しています。掲示板に貼られている写真を見ていつか自分も参加したいと強く願っていました。その夢は私が高校3年生の夏に実現しました。そう高校3年生の夏です。大事な時期に沖縄に行くなんてと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、4、5日勉強しなかったって大勢に影響を及ぼすわけではないですし、私の場合は友人に「それ見たことか」なんて言わさないぞと強い意志を逆に持つことができ、その後の勉強にプラスになりました。
沖縄旅行は本当に楽しかったです。学校の修学旅行ではすべてタイムスケジュールが組まれ管理されていますが、(大所帯の旅行であるからしかたないが)須原塾の旅行では何もかもが自由でとても開放的でした。ルールは勉強道具を持っていかないことだけだったと思います。みんなで旅行に行き数日ともに過ごすと、後輩や同級生、先生がどんな人であるかよく分かります。塾でいるだけでは分からない一面が垣間見れます。沖縄ではいろんなハプニングがありましたが中でもステーキハウス事件、ギリシャ服事件[4]、睡眠恐怖事件[5]等々。いろいろな経験をして塾生の絆がますます深まった旅でした。
4、保護者面談
高校で保護者面談が近づくと緊張する人がいるが、そんな人には是非須原塾の保護者面談をお勧めします。怖いものなんてなくなります。
僕の場合妹と合同でしたので、通常の2倍時間があるわけです。兄弟姉妹がいる人にお勧めしたいのは、まず自分以外の兄弟姉妹の話題から面談を始めてもらうことです。こうすることにより、確実に時間を消費できるのです。一度、僕が悪い成績を連発した時の面談で、僕の話題から始まって結局、全ての時間が僕の説教に費やされた苦い過去があります。加えて兄弟姉妹にご用心。妹が同盟を一方的に破棄し「兄は家でゲームばかりしています。」と大暴露。すかさず母親が援護射撃・・「ゲームを減らして勉強するように言ってるんですが、なかなか聞かなくて・・先生のほうからきつく言って・・・・・・」その後僕がどのようになったのかは読者諸氏の創造かつ想像に委ねます。
5、怖いことと叱られること
今まで、先生を怖い存在として描写してきましたたが、この「怖さ」こそ現在、学校等において失われたものではないでしょうか。みなさんまわりに怖い人なんていますでしょうか?少なくとも僕の周りに先生ほど怖い人は僕にはいませんでしたし、これからもいないと思います。おそらく、この怖いというのは、「叱られるから怖い」という感情のことを意味するのだと思います。
小学校はともかく中学校、高校で叱られるなんてほとんどないかと思います。例えば勢いあまってボールで窓ガラスを割っても、弁償してくれと冷静に言われるだけでしょうし、ゲームをし過ぎて成績が悪くても叱られることはないでしょう。
でも先生に叱っていただいてこそ今の自分があると痛感する今日この頃です。思い返せば理不尽な理由で叱られたことなんて一度もありませんし、いつも親身に叱ってくださいました。叱られなければゲームをし過ぎていたでしょうし、もっと子供なままだったのではないかと思っています。もちろん叱る方の先生も苦い思いをするでしょうし、叱られる生徒の皆さんもある時は「何で怒られるねん?」と思うかも知れません。しかし時間がたてば何故怒られたのかきっとわかると思います。叱られることほど親身になってくれることはないなぁと思います。
6、本当に与えてくれたもの
では須原塾が本当に与えてくれたものは何でしょうか?
まず第一に、大人になることだと思う。とにかく、須原塾においては大人であることが求められるのではないでしょうか。
厳密にいえば僕は今でも大人に成りきってないと思いますが、昔もそして今も一貫して理解していることは、かみくだいて言えば、「大人になる=有言実行の姿勢を身につける」ことではないかと思っています。
例えば、遅刻しなかったり、速読英単語を1週間に2つすると宣言したからには何が起きても2つ進めること等が身近な例だと思います。もっとも、「有言実行」は最もシンプルな概念で、最も実行が困難なことかとも思いますが。しかし有言実行を心がけるだけでもかなり変わってくると思います。
第二には「人間関係」が挙げられると思います。同じ屋根の下で勉強する中で僕は先輩によく質問していました。先輩はいつも快く教えて下さりどれほど救われたかわからないほどです。また先輩方が受験に挑む姿が間近に見られたのもよい経験です。先輩はいつ頃から受験勉強をはじめるのか?どんな風に勉強を進めているのか?どんな教材がいいのか?センター試験や本試験はどんな雰囲気なのか?・・例をあげればきりがないですが、須原塾にいれば色々な先輩の姿が見られますし先輩に直接質問できます。もちろん同期の友人と情報交換するのもいいことです。とりわけ先輩との関係が深くなるような塾は須原塾を除いてないでしょう。予備校にいけば、確かに各大学についての統計的なデータは入手できるかと思います。けれど先輩たちの直接の経験や先生のアドバイスは、予備校の機械的&統計的なデータに比べ遥かに人間的温かさがありまた実感が得られるものでした。予備校では得られないような先輩後輩そして同期との結束は、かけがいのない貴重な私の財産となりました。
第三に勉強に対する姿勢を教えてくれる場所であったということです。
受け身の勉強から脱却できたことはその後の大学生活の中での勉強や、会計の勉強の中で大いに役立ちました。私が大学の卒業論文として考察した内容は、まったく未開の領域でほとんど自分で考えなくてはならないものでした。その際に積極的な学習が多いに役立ちました。門外漢ですが、理系のかたにも同じことが言えるのではないでしょうか?既存の技術から新しい技術や薬、治療法を研究する大学で受身の勉強がそれほど役立たないことは容易に想像できます。
7、最後に
「須原塾が本当に与えてくれたもの」とカッコイイ題名をつけたものの本文自体は名前負けしてしまっている感が否めないです。とにかく須原塾で「楽しい受験時代を過ごせたこと」は何よりの思い出です。
沖縄にも行きましたし、先生の家で映画を楽しんだり、お鍋をごちそうになったり、寿司に行ったり、お昼ご飯を数多くごちそうになったり、東大寺にお参りにいったり・・・挙げればきりがないですが、とても楽しかったです。もちろん速単をはじめ辛い勉強もありましたが、それを差し引いても楽しすぎる受験時代でした。
これを読む後輩の皆さんも是非楽しい須原塾時代を過ごされることを願ってやみません。
[1] 若草物語2003参照
[2] ご本人の許可を得て怪しげと表記しました。実際にはまったく怪しくありません。
[3] もちろん先生がゲームしている姿は見たことありません。おそらく幼少の頃、正光先輩が遊んだものだと推測されます。
[4] 無人島で遊んだ帰りに高速船に乗ることになっているが、皆、海で泳いだ帰りなので水着は濡れていた。さすがに水着のまま上半身裸で船に乗ることはできなかったのでTシャツ等を羽織って乗り込んだ。ところが先生は海パン1丁にビニールをギリシャ人のように肩からかけたままの姿で船に乗り込んだ事件
[5] 初日は先生と同じ部屋割りだったが、先生は小さな物音がするだけで寝れなくなるという情報を事前につかんでいた。いびきなんて論外!自分がいびきをかかないとわかっていても心配だった。就寝時間になって10分経つと、お風呂場の方からかすかに水の滴る音が聞こえてきた。「・・・ポタ、・・・ポタ」私はまったく気にならなかったのですが、さすが先生。「ええい!」と怒りながら蛇口を硬く閉めにいかれました。
「やばい!あんな小さな音で怒るんやったら寝返りすらできない!!」と恐怖にかられた私はそのままの姿勢で硬直したままでした。遂にクーラーのタイマーが切れ汗だくになっても硬直したまま・・先生が完全に寝たのを確認してからようやく寝ることができた事件。
なお次の日、先生は同室の後輩のいびきに耐えられず、真夜中に部屋を移ったそうな・・